横浜地方裁判所 昭和29年(行)14号 判決 1955年2月28日
原告 江口繁こと江口風水
被告 神奈川県知事
主文
原告の訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は本件口頭弁論期日に出頭しない。仍て訴状を陳述したものと看做す。これによれば被告は神奈川県中郡大磯町吉田茂(明治十一年九月二十二日生)に対し精神衛生鑑定医をして診察を為さしめ適当なる保護の措置を為すべし、訴訟費用は被告の負担とする。
との判決を求め、その請求の原因として、
一、内閣総理大臣吉田茂君の近来の暴言非行には、心ある国民をして邦家民生の為め、甚敷憤激と困惑を感ぜしめているが、察するにこれは本来賢明なる吉田君の本心ではなくて、占領下の習性と、政権の傲りと、老令過労に加ふるに、取り巻き連の然らしめたる精神異常昂進による病気の勢であると思料し、吉田君の保護と国家民生の幸福の為め、さきに平塚保健所長を通じ、吉田君に精神障害の疑いがあるものとして昭和二十九年九月二十二日被告に保護の申請をした。而して吉田君の精神障害についての保護申請の事由は(一)国会無視の言動、(二)疑獄検挙を不当に抑圧する言動、(三)政治資金規整法等の法律無視の言動、(四)不当解散の乱行、(五)民主政治破壊の言動にして吉田首相の精神障害の程度は精神衛生法第三条による精神病質者として自我亢進性と抑制の欠乏が露骨になり、偏執、偏愛、傲慢の末、精神病としてのパラノイア(偏執病)に罹つている疑が濃厚であることを指摘して申請した。
二、然るに吉田首相は乱闘国会誓約の自粛立法等其他重要国務を放置して昭和二十九年九月二十六日欧米外遊の旅に出て仕舞つた。そして十一月十七日五十三日ぶりに帰国したのであるが、其後長途の旅行に疲労し病気に罹つたとて衆議院決算委員会の証人喚問も拒否している状態である。而して吉田首相の最近の言動を見るに、十一月八日アメリカのナショナル・プレス・クラブの米国記者団並に外国特派員団の質問に対して米国が水爆実験を行うのは相当の理由がある。なるべく日本から遠く離れた所でやつて欲しい。実験をやめてもらいたいとはいえないと答えて拍手を受けている。果してこれが世界唯一の原爆被災国民を代表する態度であろうか又水爆実験による死の灰第一号久保山君の死を眼前にする全国民の心であろうか。米ソといわず全世界に原水爆兵器の製造使用は勿論実験と言へども絶対に禁止さるべきことは日本国民が全人類に絶叫し一日も速やかに全世界の共鳴の下に実現させねばならぬ悲願である。然るに吉田首相の言動はアメリカ追随の一途に走り今や正常なる思慮を逸脱し全くアメリカの番犬に堕したる言動である。日本の正しい再建は米英との親善は勿論、中ソとの国交も回復して全面講和の実を挙げ、貿易文化等の交流の下に、互恵共存の途を開くべきであると思料されるが英米に於ける吉田首相の言動は中正なる平和の大道を逸脱し徒らに愛憎に偏倚した言辞を弄して偏執性を暴露している。
なお西独における吉田首相は十月十三日、アデナウアー首相を訪問し、敗戦後のドイツ復興に日本は負けたと兜を脱いだ挨拶をしているが、果して然らばその政治経済指導の責任は一体誰にあるのか、今日の如き道義の頽廃と労働争議と政、官、財界の汚職疑獄の紊乱ぶりは、全く占領中から独立後の今日迄数年間政治の衝に当つた吉田首相の責任でありこの政治責任を痛感して帰国後は当然辞職すべきである。然るに吉田首相は政治責任を感ぜず辞職どころか自分は一党の総裁であり首相であり乍ら、党首脳者に一片の書簡を出し責任を回避するごとく、緒方総裁と吉田首相の二頭の蛇と化し、事と次第では自らの手で解散するとの構えを取つている。議会政治は政党政治であり、政党の首領であつた吉田君が議会で総理の指名を受けたのであるから、四囲の状勢で総裁を辞めねばならぬのなら、当然首相を辞すべきが政党政治の常道である。
然るに自家政権の維持に汲々として、この常道を無視して、解散も辞せずとするならば、これこそバカヤロウ解散よりももつと罪悪なキチガイ解散であつて党利党略以外何物でもない。これは、全く人心を失い政策が行き詰つての血迷つた行動で、吉田首相の精神錯乱を暴露するものであるといはねばならぬ。
三、以上の吉田首相の言動は全く日本国の宰相として、政党の総裁として、政治家として、益々正軌の判断を逸脱し、その精神の異常による行動は、ひいては全国民の不幸であり、吉田君の心身を悪化するに至るべきは火を見るより明らかである。
従つて精神衛生週間に幾人かのヒロポン患者を保護しその害悪を防ぐというの比ではなく、原告の保護申請に対しては、被告は速かに精神衛生法第二十七条に基き吉田君に対し調査の上精神衛生鑑定医の診察を為さしめ、適当なる保護を講ずべきであるにも拘らず昭和二十九年十月一日にその必要なしとして処分したことが十一月二十九日判明せるを以て止むなく本訴請求に出た次第である。原告は一党一派に属せず勿論個人の利害や感情によつて本訴を提起するものではない。全国民の精神衛生の重要性を痛感強調し、真に吉田首相の精神の正常化を祈り、八千万国民の幸福を希つて、適正なる裁判による精神衛生法の厳粛なる適用を求むべく、本件請求に及んだ次第である。と述べた。
被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として
一、原告は本訴において被告に対し、精神衛生鑑定医をして吉田茂を診察せしめ、適当な保護の措置をなすべしと請求している。すなわち、行政庁に対し一定の行為をなすべきことを命ずる裁判を求めている。しかし裁判所は行政事件訴訟において、司法権行使の機関として法の具体的適用を保証するという消極的機能を有するに止まり、行政上のある目的を実施する任務を有するものではない。従つて裁判所は行政庁に対し、前記の如き行政上の行為をなすべきことを命ずる裁判をなす権限を有しないのである。それはひつきよう裁判所が行政権を行使し或は行政庁を監督する結果となり、三権分立の原則に反することになるからである。
二、行政訴訟は法律上の争訟に関するものでなければならない。すなわち、法律の適用によつて解釈さるべき当事者間における具体的な権利義務に関する争があり、具体的な法律の適用が争になつていなければならない。然るに本訴の如きいわゆる「民衆訴訟」は国民として公共的行政監督的な地位から、行政法規の違法な適用に対しこれを是正するために提起する訴訟で、特に法律が認めた場合にのみ一般国民として提起しうるに過ぎないのである。本訴の趣旨によれば、当事者間に具体的な権利義務についての対立がある訳ではなく、従つて法律上の争訟に該当しないのみならず、かかる訴訟提起を認めた法律上の根拠はないから、不適法であるというべきである。
三、精神衛生法第二十三条、第二十七条は一般国民に本訴の如き請求権を認めたものではない。同法第二十三条は単に県知事に申請して、その行政権の発動を促しうることを認めたのに過ぎないのでそれ以上の権利を認めたものではない。
以上孰れの点よりするも、本訴は不適法として却下さるべきである。と述べた。
理由
原告の主張の当否を検討しよう。
一、原告の本件請求は行政庁に対し行政上の行為をなすべきことを命ずる裁判を求めるものである。しかし憲法上三権分立の建前から裁判所としては行政庁に対してはこのような行政上の行為をなすべき命ずる裁判をなす権限を有しない。行政訴訟において裁判所のなすところは行政処分の適法であるか否かについての判断表示のみに限らるべきであることは、司法の本質が「法律上の争訟」において法律価値判断作用としてなす法宣言的作用があるのみであることからいつても当然である。
二、次に司法の本質は「法律上の争訟」について法律的価値判断をなし法を宣言する作用たることは前述のとおりであるが「法律上の争訟」は法律の適用によつて解釈さるべき当事者間における具体的利益ないし利益の衝突による事件いゝかえれば当事者間における具体的権利義務に関する争があり、具体的法律の適用が争になつていることをいうのである。然るに民衆訴訟は法律上の争訟ではないが、一般国民として公共的行政監督的地位から行政法規の違法な適用に対しこれを是正するために提起する訴訟であつて法律に特別規定された場合に限られるのである。然るに本件の如きは当事者間に具体的な権利義務についての対立があるわけではなく従つて法律上の争訟に該当しない。のみならず民衆訴訟を認める根拠規定はない。
三、精神衛生法第二十三条第二十七条は一般国民に本訴の如き請求権を認めたものでなく、合理的合目的解釈によつても裁判所としては行政庁に対しかゝる行政処分をなすべきことを命ずる裁判をなす権限を有しないのである。同法第二十三条は単に県知事に申請して行政権の発動を促しうることを認めたものにすぎないのであつて直接裁判所に対し訴を提起することは不適法である。
以上いずれの点よりするも本訴は不適法として却下を免れない。
よつて本訴は不適法として之を却下すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 堀田繁勝)